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初めての皮膚障害

わたしの祖母は、セットで撮影中の私をよく訪ねて来てくれました。そして、撮影所のみんなからとても愛されました。

 スタジオで仕事をしている私にとって、ここにひとつ、やっかいな問題がありました。つまりスタジオ内では、スタジオが使用を義務づけているメイクアップを私も使用しなければならないということです。そのメイクアップとは、もちろん何年も前に母のもとにやってきたあのロシア移民者か生産しているものです。

彼のメイクアップは、母かかつて作ってあげたものとは似ても似つかないものとなっており、スタジオ内では。“ねりおしろい”と呼ばれていました。そしてそれは、化学物質をふんだんに混ぜこみ、さらに鉛まで含んだものでした。そんなメイクアップの使用を義務づけられた私は、生まれて初めての皮膚障害に見舞われることになってしまいました。アゴに激しい発疹が広がり、悲いかなとても醜い顔になってしまったのです。

 母に連れられて医師に診てもらったところ、メイクアップによる鉛中毒だと診断されました。そして、医師の分析によれば、80パーセントも鉛の化合物を含んでいるというのです。

 母の優れた手入れとすばらしい化粧品のおかげで、私はとてもきれいな肌をしていたものですから、この皮膚障害にはいささか母もガッカリしてしまい、新たに鉛中毒を治療できるような製品を創りあげようと決心しました。彼女はみごとにその製品を完成し、それを。「ピンク・アイス」と名付けました。それは冷たくて爽快で、まったく数日のうちに私の肌はよくなり、赤く炎症を起こしていた不潔な発疹はほどなく引いていきました。母も私もこれにはたいそう嬉しくなりました。およそ45日で発疹の軽い痕跡を残すばかりとなり、60日で奇蹟でも起こったかのように完璧に消え失せてしまいました。もちろん、このあいだ中私は依然として毎日メイクアップに行かねばならず、あの恐ろしい。“ねりおしろい”をつけていたわけですが、炎症がおさまるとメイクアップ室をさけて自分の化粧室へ直行し、母のメイクアップだけを使うことにしました。そして、ある日カメラマンが来て「どんな化粧品を使っているのかね」とたずねるまでは、だれひとりとしてこの変化をあやしむ人はありませんでした。私はスタジオから追いだされるのではないかと思い、カメラマンに答えるのを怖れました。そこで彼に「どうしてそんなことを聞くのですか」と言うと、彼は「近ごろの試写フィルム(彼らは毎日撮っているのですが)の中で、君はだれよりも目立っている。君の肌は生き生きしていて、まるで光り輝いているみたいだからさ」と言いました。私は説明に窮したので、彼に私の秘密を打ち明けますと、彼も秘密を守ってくれました。けれども画面に出るときは、私はいつもクローズアップで撮られることになりました。

 ルーシーと他のゴールドウィン・ガールズの女の子たちも、なんと私の肌が晴れ晴れしく、なんと新鮮に見えることかと注目しました。そこで私は彼女たちに、母のメイクアップを使っていることを話しました。私は彼女たちが告げ口することを怖れましたか、当然のことなからだれもけっしてそんなことはしませんでした。

 私は母のために、なんとそのスタジオでビジネスを開始しました。すると、私の母が新鮮な自然の油脂から作ったすてきな自然化粧品をもっているといううわさが広がり、私は、私が働いているところのあちこちに何十人もの顧客リストをもつことになりました。秘書や経理の女の子や女優の衣裳係の女性に、その日毎の商品の受け渡しをするために、たいそう魅惑的な衣裳を着、巨大な羽毛のずきんをかぶり、黒くて長いストッキングをはいた私のいでたちは、いささか奇妙に映ったに違いありません。そして私は、メイクアップ係の男性たちにもこっそり売ったものでした。きっと彼らだって、係りの女優の何人かにはそれを使ったことでしょう。というのも、彼女たちは画面の上でより輝かしく見えたからです。彼らは母の化粧品を使うことを公認することはできませんから、それはかたい秘密ではありましたが、私と母は、私が仕事をしているすべてのスタジオで、はなはだ大きな商売をしてしまったのです。そんなわけで、私は一風変わった方法でいっしょうけんめい母を助けながら、いっしょに働いたものでした。

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