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父の思い出

 私の父はなかなかのアイデアマンで、17歳のときに、あの衣類のシフをのばす電気アイロンを発明しています。でも、やがて人間の顔のシワをのばす手伝いをすることになるとは、夢にも思っていなかったでしょう。父は電気や機械に強かったのでしょうか、私が物心ついたころには、ボートや自動車用のモーターを生産する工場を経営しておりました。18200入の従業員を養い、彼自身は7台の自家用車と5隻のボートをもっておりました。私たちは、ワシントン州のシアトルに居をかまえ、シアトル湖畔にはすてきな太邸宅をもち、〝ジョッコ“という名のペットの猿を飼っていました。私かまだほんの小さな子供のころのことです。

 ある日、父は急性肺炎で重い病の床に伏しました。元来仕事熱心な彼は、会社の運営のことを考えると、ベッドにじっとしていられなかったようです。そして彼は、充分に回復するのを待たずに仕事に復帰してしまいました。そのために病はぶりかえし、衰弱し、ついには肺結核に感染して急速に進行させてしまったのです。彼はシアトルでの事業を放棄せざるを得なくなりました。彼に必要なのは安静と明るい太陽と澄んだ空気だったのです。私たちは、父の健康のために、アリゾナ州のフェニックスに引っ越すことになりました。

 私たちは、生活してゆかなければならず、新たな収入の道を切り開かなければなりませんでした。さいわい祖母は、自然の植物を原料とした化粧品を作る研究に昔から打ちこんでおり、1893年にはほぼその調合が完成していました。そこで母は、その調合を土台にして、市販するために必要な現実的問題に対処する処方を考えはじめました。父はといえば、暇ができたために例の発明熱にふたたびとりつかれ、あれこれ母の研究を手助けできる器材の開発に頭をひねっていたようです。

 ついに父は、母のためにスチーム・コンプレッサーという機械を発明しました。これは、母が庭で栽培している植物から、化粧品の原料となる油を抽出する装置でした。このスチーム・コンプレッサーのおかげで、母の自然成分を主体とする化粧品を市場に送りだすことが可能になりました。それは1915年、まだそんな化粧品は世界のどこを探してもお目にかかれない時代のことでした。 私が5歳のとき、私のすてきな父が亡くなりました。私は、父が亡くなった翌朔のことを忘れることができません。私が眠りから醒めると、母は頭をたれ、肩を落として泣いていました。そのとき、まだ私には何か起こったのかわかりませんでしたが、母の姿があまりに哀しかったので、私も母のもとに駆け寄って泣きました。母は私をきつく抱きしめ、そして払の涙を拭ってくれ、自分の涙も拭いながら、「ゆうべお父さまが天国へ召されました」と話してくれたのです。私は父をとても愛していましたので、それはそれは深い悲しみでした。父は、ロサンゼルスから50マイルほど離れた、カリフォルニア州のオンタリオに埋葬されました。

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