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ふたつの出逢い

母は今や、自然化粧品の開発者としての評判を獲得しつつありました。

 ある日、一人の紳士が母の研究室を訪れました。彼は、自分がイタリア出身の有名な化粧品化学者であることを告げました。彼の名はルイス・クレメンテ博士といい、永いあいだヨーロッパの王家や貴族のあいだで使われている化粧品のほとんどすべてを創ってきたのですが、母の自然化粧品のすばらしい調合の話を耳にしたので、今度は母と力を合わせて仕事をしたいと申し出てきたのでした。それは、すこぶる幸運な提携であったと言わなければなりません。というのも、この二人の有名な化粧品化学者が創りだした最高級の化粧品は、いたるところで人々の注目を集めるようになったからです。

 この評判を耳にして、こんどは一人の小柄なロシア移民者が母のもとを訪れました。彼は読み書きはおろか、自分のサインさえ満足にできませんでした。彼の唯一の財産といえば、ある映画会社にいる知人とのコネだけでした。けれども、その映画会社で彼が目をつけたのは、俳優たちがたいへん化粧品を消費するということでした。彼は、野外撮影やスタジオ内で仕事をしている俳優たちに使ってもらうための、何種類かのクリームを創ってくれるように、クレメンテ博士と私の母に依頼しました。

 そこで二人は、その依頼を受けて生産を始めました。一方ロシア移民の男は、簡単な紙のラベルに自分の名前を商品名として印刷し、それを貼りつけて営業を開始しました。まず自分の知人のいるスタジオに持ちこみ、そのスタジオのすべての映画スターたちに、彼の化粧品のみを使用するという誓約書にサインさせたのです。その誓約書を片手に、彼はすべてのスタジオをセールスし、口説きおとして同様の誓約書にサインをとりつけてしまいました。こうして、ハリウッド全スタジオのオールスターが、母の化粧品を使うようになったのです。

33 やがて、彼はその化粧品によって高い評価を受けるようになりました。そこで彼は、もっと大きな利益が得られるように、安い化学物質でそれらのクリームを創ることはできないものだろうかと、母に頼みこんできました。もちろん母は断わり、そしてその男は、自分の要求を受け入れてくれる工場へ去って行ったのです。

 この男が母の研究室を初めて訪れた当初は、いつもすかんぴんで、クレメンテ博士がスパゲティーとソースの大きなナベをストーブの上にのっける昼食どきを見はからってはやってきたものでした。けれども、化学物質を混ぜこんだ化粧品を販売するようになってからも、ハリウッドのスタジオとの関係を保ちつづけて、現在では化粧品業界最大級の会社のひとつとなっています。

 その男が去り、クレメンテ博士も早くに逝ってしまいましたが、母の方はもともとクレメンテ博士の顧客であったヨーロッパの王族たちのために、注文に合わせて自ら調合し、生産し、けっこう忙しい毎日を送っていました。一方、ヨーロッパからアメリカヘ渡ってきた貴族の多くの人たちが母とのつながりをもちたがり、やがて母は、彼らのあいだで親愛の情をこめて“プリンセス・ヘレイン”と呼ばれるようになりました。その名は、長いあいだ彼女の化粧品群の商標として用いられました。つまり、現在の“グソウェン化粧品”の前身は”プリンセス・ヘレイン化粧品”という名であり、貴族社会で愛用されていたわけです。

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