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エリオット女学校へ

23父の親族の申し出を拒否した母は、父が残した遺産をはたいて、とても格式の高いエリオット女学校に私を入学させました。以後13年のあいだ、この学校が私のすみかとなりました。有名な映画スターの子供たちや、ロサンゼルスでも指折りの資産家の子女たちといっしょに、学校の寄宿舎本館の大きな部屋をあてがわれ、そこで厳格な生活を送ることになったのです。授業料はとびきり高かったのですが、母と祖母は私によい教育を授けるために、持てるものすべてを犠牲にしてくれました。

 母は、自分の化粧品の売上げをのばすためにカルフォルニア中をあちこち飛びまわらなければなりませんでしたが、手持ち商品がなくなって製造にかからなければならなくなったときと、週末だけは、かならず家に戻ってくることになっていましたから、決まって週末には母と祖母が面会に末てくれて楽しい時間を過すことができました。

 それにしても、こうした生活は私のいとしい母にとってたいへんきついことだったに違いありません。けれども、彼女は性格的にたいそう強い人で、一度彼女がこうしようと思い定めた以上は、だれもその意志をくつがえすことはできませんでした。そして、母のこの性格は、ずいぶん幼いころから私の中にも注ぎこまれてきたように思います。というのも、私もまた“それはできっこない”という言葉をけっして信じようとはしなかったからです。重病にかかること以外は、問題を解決する道はかならずあるものです。

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